お寺のこと

普誓寺 真言宗智山派 総本山智積院 宗祖:弘法大師空海 中興の祖:興教大師覚鑁

幾度の震災も乗り越え、地域住民と共に歩んできた歴史ある寺

弘法大師空海さんが開いた宗派で、江戸時代初期に北上川改修工事を行った川村孫兵衛重吉翁が再建したお寺です。未だ東日本大震災の被害で山門、本堂が復旧していない状態ですが、慶長の大津波、宮城県沖地震、と幾度の災害を乗り越えてまいりました。檀家役員さんと現在再建に向け邁進しております。

地域に開けたお寺として、様々な皆様の悩み事、相談事をお聞きしております。お茶のみがてら、ご本尊さまをお参りして頂きたいと思います。
如実知自心を心する事で、この身このままで成仏できる「即身成仏」を提唱した弘法大師、平安の三筆の第一人者です。高野山金剛峯寺、東寺、神護寺、大覚寺などの十八派に本山がわかれています。
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普く誓いをたてる 釜のお寺.
「釜のお寺」の由来

慶長の大津波で被害にあい、塩害で作物が育たなくなったため、逆転の発想で「ならば塩をつくりましょう」と、大きな釜を設置したことから「釜」という地名がつきました。この行いは震災復興や、地域住民の雇用にも大きく貢献したことが普誓寺巻物に記されています。

住職あいさつ

第23世 普誓寺 住職鈴木 聰昭

お釈迦様の教えを地域社会に説き広めたい

普誓寺23世住職をまかされ、住職使命は第1にお釈迦さまの教えを地域社会に説き広めることと考えています。
それはあらゆる人に仏の心(菩提心)を起こし、如来さんの大慈大悲の心で真の社会平和、地域社会の真の繁栄を願い、日常の中で実践することです。
菩提心は人間誰しも持っていますが、人間の心に無明煩悩という三毒が災いして、一時の損得、邪推、邪見で眼がかすみ、お互いに住みにくい社会になっています。
三毒に犯された心を仏さまにおすがりし、如実に自己をよく知り信念を実現すべく、言葉と行いと心根を正し、精進努力することで仏さまの加護を頂けると信じることで、地域発展、一族の繁栄、周囲の人々の協力が得られると考えています。
死んでから極楽に安住するのでなく、現実の世の中で極楽(常に楽しい)生活を味わい、安心穏やかな生活を願う場所を菩提寺とし、この身このままが仏さまのように穏やかに暮らし心を精進する道場であり、人々の眼や耳などの五感に訴えた仏さまの声を素直に聞こえ感じるお寺にすべく、努力するのが住職の使命と心得ています。

親しく愛され、気楽に来られるお寺へ

慶安元年に伊達家の60万石の扶持米として創建され、明治に廃仏毀釈に遭い地域発展を祈願された寺として、また石巻の大恩人である川村孫兵衛の菩提寺として、親しく愛され、気楽に来られるお寺でありたいです。
お寺は檀信徒の施設。皆様が集い楽しく使用でき、お寺は檀信徒の財産で、代々受け継がれてゆくものです。
諸行無常(変化してやまない)諸法無我(この世にある物には実体が無い)因あり、縁が生じて果があらわれる縁起の世界で、良縁の出会いの場を求めて、訪ねてみる価値あるお寺にしたいです。

石巻の英雄 川村孫兵衞

土木の神様孫兵衛大権現像

川村孫兵衞と石巻のつながり

元和2年(1616)北上川改修工事に携わったことをきっかけに、石巻の基礎を築き英雄となった川村孫兵衛重吉翁。
江戸時代初期に普誓寺再建に携わったとされ、普誓寺は川村孫兵衛の菩提寺でもあります。

今からおよそ360年前の江戸時代、北上川・江合川・迫川は大雨が降るたびに洪水がおこっていたので、仙台平野北部は米作りには適さない土地でした。この仙台平野北部の新田開墾こそが、仙台藩100万石の悲願でした。
そこで、初代仙台藩主・伊達政宗公は、北上川流域の物流拠点石巻港に至る運河のための水路整備と、北上川の水害を防止するため、 川村孫兵衛重吉に河川の改修を命令しました。

人柄の良さがつないだ成功への道

孫兵衛重吉は、工事の設計や現場監督だけでなく、工事資金の捻出や年貢を少なくするよう藩に掛け合ったりもしました。
工事で働いている人たちは、親身になって自分たちの身を案じてくれる孫兵衛重吉に応えるように一生懸命働き、改修工事は見事完成しました。
これにより、北上川・江合川・迫川の水流が安定し、水はけも良くなったことで、仙台平野北部の新田開発は急速に進みました。
さらに、孫兵衛重吉は、改修工事と同時に石巻の築港工事も行い、水上交通の整備に努めました。これにより、河川を使った人や物資の運搬が盛んになり、収穫された米が石巻港に集められ、江戸に送られました。仙台米は、当時、江戸で消費された米の三分の二を占めたとも言われています。

川村孫兵衛の偉業のお陰で、米の一大集積地となった石巻。
孫兵衛の偉業をたたえるとともに、海難事故や水難事故によって亡くなった英霊を供養する「川開き祭り」は、今でも毎年開催されています。

震災と普誓寺

3月11日鎮魂の鐘

震災時の普誓寺

平成23年3月11日午後2時46分大地震があり、約40~50分後に大津波が石巻を襲いました。普誓寺前の道路が水路となり渋滞の車の列を大津波が疾走しました。薄暗い曇り空から雪が降り、強い北西風が吹き荒れ、まさに地獄絵図のようでした。
数日後、水が引き寺へ行くと本堂の内陣荘厳品仏具仏像等、山門、子安観音堂、地鎮の社、何もかも流失。すべてのお墓が倒れ、ヘドロまみれ、お骨が流失している墓もあり、墓石がまるで積み木が倒れたような状態でした。車両や大型トラック、瓦礫が覆い被さり、ヘドロ汚泥が積み重なり、足にヌメリ込んで歩くのに体力と時間が掛かる中、被害状況を確認しました。どこから手をつけてよいのか茫然自失。言葉にならない状況でした。
普誓寺近くのやすらぎ葬儀社に普誓寺仮事務所を置かせて頂き、そこへ次々と運ばれるご遺体を回向し、檀家の安否確認や、合間に寺へ行ってはヘドロ掻き、寺の備品や過去帳を捜す。そのような日々が何日か続きました。

多くの人に助けられたお寺

体力気力、精神的にもすり切れそうになりましたが、全国より大勢のボランティアの方々が寺の泥掻き、掃除などをお手伝い頂き、大変感謝感激し再建しなくてはと、元気を与えて頂きました。真言宗青年僧侶が各地よりボランティアに来て頂き、無我夢中で遺体安置所や仮埋葬所へ行き読経しました。また葬儀、お祓いなどのお勤めをしました。避難所登録をして日用品物資を届けて頂き、近隣の皆様に配布したりしました。お陰様をもち護摩堂一心堂を仮本堂改築に三ヶ月でたどり着き、7月から葬儀法事ができる状態になりました。
お墓は檀家の要望もあり、お盆まで何とかできないかと墓地整備を行い、仮設置工事がお盆前に終える事ができました。重吉興業協賛で「鎮魂の鐘」早朝5時より震災物故者の数を打ち続け、一周忌慰霊祭を仮本堂一心堂で行いました。三回忌慰霊祭その後、寺の年中行事として毎年の慰霊祭でも行っております。

震災時の写真